『闇に挑む書士5 ―保護された命と司法書士の執念―』
2024年6月。梅雨の合間、蒸し暑さがじっとりと肌にまとわりつく大阪・西成。司法書士・溝部将司のもとに一本の紹介が入った。市の福祉課を通じたケースである。
「40代の女性で、生活保護を受けてます。本人、相当参っていて…金銭トラブルで“死にたい”とまで言っていまして」
紹介者の声は沈痛だった。ケースワーカーからの要請で、面談が設定された。現れたのは痩せ細った女性、名を森田亜紀(もりたあき)、46歳。子どもなし、独身。十数年前にパニック障害を発症し、以降は就労困難となり保護受給に至った。
溝部はゆっくりと語りかけた。
「どんなことがあったのか、順番に話してもらえますか」
森田は頷き、ぽつりぽつりと語り始めた。
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森田が最初に借金したのは、前年秋。生活保護費ではカバーしきれない医療費や、冷暖房費の補填に困り、スマホから「即日融資可」のサイトに申し込んだ。だが、そのサイトは闇金の温床だった。
「電話がかかってきて、“2万円貸します、1週間後に3万返して”って…怖かったけど、すがる思いで…」
最初の返済を何とか終えると、すぐに“次の融資”が提示された。「信用がついたから、4万までいけますよ」と。
こうして森田は、毎月2万〜3万円の「手取り融資」を受け、その都度5〜6万円の返済に追われるようになった。返済に窮すると、すぐに脅しの電話が入った。
「お前、保護受けてるクセに借り逃げか?福祉事務所に電話したろか?」
「夜中の2時にも電話があって…着信拒否しても違う番号でかけてくるんです。寝られなくて…幻聴みたいになってきて…」
溝部は、森田が持参したスマホを確認した。複数の知らない番号からの着信履歴、そして「無視すんなボケ」「死にたくなければ電話せえ」などのショートメッセージのスクリーンショット。典型的な闇金の“心理破壊”戦術だった。
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「貸金業者の名前は?」
「最初は“MKファイナンス”って言ってましたけど…途中から“浜田”って名乗るようになって…他にも“関西サポート”とか、“旭ローン”とか、いろいろ…」
これは、一つの業者ではない。あるいは、組織を隠すために複数の名義を使い分ける「分割業者」だ。いずれも登録業者には存在しない。
「通帳に振込記録ありますか?」
「はい…10件以上、いろんな名前で入ってます。全部個人名です」
振込名義は「サトウケンタ」「イケダユウジ」など、すべて個人口座。詐欺口座の可能性が高く、金融庁や警察の捜査対象となる形式だった。
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溝部は、すぐに森田から正式に受任し、受任通知を各業者に送付。並行して、金融庁・国民生活センター・大阪府警にも情報提供を行った。
「森田さん、もう大丈夫です。これ以上連絡が来たら、すぐに私に言ってください」
「先生…私、もう…ほんま、死ぬしかないと思ってたんです。お金もない、誰にも頼れない…でも、先生に“守ります”って言ってもらえて、まだ…ここにいていいんかなって…」
その言葉に、溝部は静かに頷いた。
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受任後、数日は静かだった。しかし、4日後。事務所に一人の男が現れた。
「浜田や。お前、出過ぎやろ」
40代半ば、サングラスに派手なシャツ。事務所のガラス越しに覗き込みながら、威嚇するようにドアを叩いた。
「正規の依頼人に対して、違法な金利で貸し付け、脅迫までしている。録画してるから帰ってもらって構わないですよ。あとで警察に提出しますから」
その瞬間、浜田は舌打ちをして背を向けたが、捨て台詞を吐いた。
「お前も、その女も…痛い目見るぞ」
だが、その言葉はすべて、ドア上の防犯カメラに記録されていた。
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後日、大阪府警生活安全課の介入により、浜田を名乗っていた男の身元が判明。過去に闇金営業で書類送検歴があり、今回は“他人名義の口座を使って貸し付けていた”という点で再捜査となった。
森田にはそれ以降、一切の連絡がなくなった。さらに、福祉課とも連携を取り、今後の家計管理をサポートする生活支援員の派遣が決まった。
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数か月後、森田から手紙が届いた。事務所の封筒を開けると、シンプルな便箋にこう綴られていた。
《命を守ってもらいました。今でも、夜が怖い時もあります。でも、もう誰にも奪わせません。先生、ありがとうございました》
溝部は封筒をそっと引き出しにしまい、隣に置いてある次の相談者のファイルを手に取った。
「次は、大学生を狙ったSNS闇金…ですか。若い子も狙われてる。さて…やりますか」